樹木希林さんが他界され追悼企画がたくさん・・・
最近 目に止まった記事はこちらでした。
「不登校新聞」を制作されている方との対談で
樹木希林さんが語られたご自身のご両親のお話。
”親がえらかった”という言葉に行き着く
樹木希林さんのお話、
以下 本文を一部抜粋させて頂くと
>『これが私の財産なんです。
まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。
おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。
こういう価値観を持てたのはありがたかった。
これはもう親の教育に尽きますね。
親がえらかった。
思い返せば、うちの両親はとにかく叱らない親でした。
「それはちがうでしょ」と言われた記憶がない。
記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。
子どもってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、
それをいつも「たいしたもんだよ」と両親は笑ってる(笑)。
子どもを見ているヒマのない時代でしたが、
ふり返ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。』
この部分を拝見し法華経の中の「三車火宅喩」の話を
思い出しました。
「三車火宅喩」に関してはロータスカードの8番に
詳細を書きましたが
「三車火宅喩」がどんなお話かというと、
火宅(家が火事!つまり非常に危険な状態)
であるにも関わらず
それに気付かず遊んでいる子ども達
(=煩悩ある普通の人の例え)を救った
親(=お釈迦様)の話。
どんな風に救ったかと思いますか?
”とにかくまずは安全な場所へ!”と子ども達を抱きかかえて出た。
「危ない!早く外へ出なさい!」と状況のピンチ度を伝え、追い立てた。
どちらも実際そうなった時、多くの親がやりそうなことですが
三車火宅喩の中で親がしたことは、
外に立派な3つの車があるから
どれでも好きな車で遊びなさい
と、子どもの興味を楽しいことへと向ける
ということでした。
人はワクワクする方へと
心も身体も向かうもの。
あれをやってはダメ
これをやってはダメ
あれはできなければダメ
これくらいできなくて
どうするの!
と、禁止・命令では
人の心は萎縮してしまいます。
樹木希林さんが個性・才能を
発揮されたのは
希林さんご自身が
自分の道を選んでいくことを
ご両親が温かく見守られたから
それも要因に感じました。
こちらの記事中、
法華経の提婆達多品のお話もでてきます。
樹木希林さんの世界観が伝わってくる記事
是非全文お読みください^^
樹木希林さんのご冥福を
心よりお祈りいたします。
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